眞規子と行ったルルド巡礼と黙想の旅
2009年12月
ルルド巡礼と黙想の旅
(無原罪の聖マリアの祝日をルルドで)

最初は「眞規子を連れて行きたい!」と心が叫びました。そして、有馬神父さまから「行きますか?」と、お電話を頂いた後は「どうしよう・・・」と少し悩みましたが、トントンと話が進み、「ルルドへ眞規子と行けるのは眞規子を通して神様がお恵みを下さっているのだ」と、思いました。「神様、まこちゃん、有難う!!」の気持ちで出かけました。
 12月7日は夜中にルルドに着きました。バスでの道中、疲れは見せているものの、機内では「眠たい!」を連発していた眞規子が、意外に分別を見せ、眼は疲れて赤くなっていたにもかかわらず、両手で器用に音頭をとって何やら踊るしぐさなどして過ごしていたのがこころに残っています。バスから降りる前にはキラキラと顔(目)を輝かせて、微笑んでいる様に見えました。何か胸にこみ上げるものを感じる到着でした。
 8日はインターナショナルミサやろうそく行列に参加させて頂き、祈りの場を体感させて頂きました。其のつど、ルルドの街中を眞規子の車イスを押して(ほとんど、有馬神父さまが押してくださいましたが)、行ったり来たりしながら思ったのは、ルルドは障害者を神の視線で見つめ包みこむ優しい町だということでした。眞規子はルルド巡礼で出会った人々と、ご一緒に巡礼に行かせて頂いた皆々様に、言葉では言い表せないご親切と御世話に成りました。
 9日の沐浴では、視力を失っている脳性小児麻痺の眞規子は、マリヤ像を手に持たせて頂き、真白なハンモックのような中に座り数名の方たちの手によって沐浴させて頂きました。今でも心に残っているのは、日だまりの中に出てきたとき、空を見上げて「鏡」と言ってから「見えた」といった眞規子の言葉です。眞規子には、その時、何かが見えたのだと思います。グロットでもご親切なご婦人に誘導していただき湧水のしずくを両目に塗って頂きました。感動の連続でした。
 ルルド巡礼で教えられたことは、自分を無にして神の声に従う者となり、ただひたすら神と隣人を愛し、どんな状況に置かれようとも、常に喜び感謝して、今を御旨の儘に生きたベルナデッタの姿勢でした。清貧の大切さを学びました。如何に自分のいまの生活が贅沢三昧かを反省させられました。心打たれた光景はグロットで静かに黙想をしている人々のすがたでした。そこに神はおられる、神は必ず願いを聞いて下さる、と確信させられるルルドでした。帰って来てからも、「なんてすばらしいところへ行かせて頂いたのだろう!」と日々、感慨を深めています。神様、皆様 本当に有難うございました。
                                                                    前田 (美智代・眞規子)

ー ルルド巡礼センター −