『聖母ご出現の日』をルルドで
ルルド巡礼と黙想の旅に参加して
2010年2月
1858年2月11日、フランス・ルルドの洞窟で聖母マリアがべルナデッタにお現れになったときの曜日は木曜日だったのですが、今年の記念日・2月11日は同じく木曜日にあたります――スタッフのこんな厚いメッセージに心が動かされ、その日にルルドにいてマリア様に祈ることができるのはとても幸せなことだと思えて申し込みをしました。
2月11日をはさんで8日から13日までの6日間の旅。そのうちの4泊5日、丸々3日間ルルドに滞在する巡礼は初めてでした。これまでは長い巡礼の旅の途中でルルドに立ち寄るというものだったので「もっとルルドにいたい」という思いが残りましたが、今回は満足のいく巡礼となりました。本当の意味での巡礼といえるかもしれません。お二人の同行司祭がいつも共にいてくださり、ミサはもちろんのこと、講話があり、ゆるしの秘跡がありで内的に贅沢な旅だったといえます。
当然、ルルドも真冬ですから寒さは覚悟の上。雨と雪の降る冷たい日々でしたが、それがかえって恵みでした。天から降ってくる真っ白い雪に身も心も清められ、心ゆくまで満たされた日々でした。久々に訪ねた「ロザリオ大聖堂」が特別に輝いていました。それもそのはず、ロザリオの祈りの中の『光の神秘』が2002年、教皇ヨハネ・パウロ二世によって新たに加えられたのですが、そのモザイク画が大聖堂の正面の壁に近年新しくで描かれていて、夜のローソク行列では照明を受けてとても美しく見事でした。強く印象に残りました。
滞在最終日の『ルルドの聖母』の記念日・2月11日(木)は午前10時から、2万人から3万人が入るといわれている「聖ピオ10世教皇地下大聖堂で
でインターナショナルミサがあり、世界各地から訪れた人々と共に祈り、ミサをささげました。早めに修道院を出たのですが私たちが到着したときには大聖堂はすでに満杯、まとまって座る席はありませんでした。9時45分、「シッ!」という合図がマイクを通して聖堂内に大きく響き渡るとざわめきが一斉に静まり、参加者の紹介がイタリアの巡礼団から始まりました。各巡礼団の代表は大きな旗を掲げて入堂します。全部の紹介は40分ほどかかりましたが、最後のほうで「ジャパン!」とアナウンスされたときにはつい嬉しくなって拍手でアピールしました。聖歌の素晴らしい響きに魅了されながらも、こんな大勢の人々では聖体拝領がスムースにいくのかしらと一人案じていましたが、慣れた手配で見事に完了、ミサは正午に終了しました。司祭団は600人ぐらいだったそうですが、その中に加われたお二人の同行司祭はとても感激されたご様子でした。
ここの『ルルドの聖母』の記念日には、特に大きな恵みがあり、決められた祈りと4カ所に巡礼すれば全免償(特別なゆるし)が頂けるということで、午後、それらを巡礼しました。グロット(マリア様がベルナデッタにお現れになった洞窟)は到着後、毎日訪れては祈っていましたので、その他の3箇所、ベルナデッタが洗礼を受けたルルド小教区教会(サクレ・クール教会)、カショー(ベルナデッタが住んでいた牢獄跡の家)、ホスピス(ベルナデッタが初聖体を受け、修道院に入る前に暮らしていた)を巡りました。この日は、後で聞くところによるとマイナス3度ぐらいだったそうですが、一行18人は静かに雪の舞うルルドの町を歩きました。滑らないように足に力を入れ、「この日のために、この事のために来たのだから」と自分に言い聞かせつつ励ましながら、まさに巡礼にうってつけの天候の中を頑張りました。心身が引き締まる中で共に歩き、共に祈ることができましたことは何にも代え難く神様に感謝、マリア様に感謝、そして仲間の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシュウ」(私は無原罪の宿りです)とベルナデッタにご自分のことを証ししたマリア様、人間でありながら原罪を持たないでお生まれになった特別に選ばれた方、この方を尊敬しないで誰を尊敬しましょう。家族をはじめ、病者、悩み苦しむ友人知人のために、グロットのマリア様に取り次ぎを祈ってまいりました。                                           (福岡市・小羊のおばさん)



ー ルルド巡礼センター −