ルルド・ヌヴェール・モンサンミッシェルとリジュへの旅
   リジュの聖テレジアについて  
2011年5月
田村 豊子

私のカトリック祈祷書には、洗礼名聖テレジアの御絵をいつも挟んでいます。3年前に父を亡くし、東京から43年振りに故郷の長崎に戻り、中町教会の主日のミサはもとより、朝ミサにも毎日母と参加しています。当時幼児洗礼は、ほとんど親族が抱き親をつとめていましたので、徒姉から受け継いだ「聖テレジア」の洗礼名は、私にとって血族の信仰の証でもあり誇りなのです。神様をまっすぐに見つめる意志的な眼差しの御絵の中の聖テレジアに、私は、毎朝「あなたにお会いしたい」と願っていました。まさかこの時は、あなたの息づかいのする地へ巡礼できるとは思ってもいませんでした。

そして2011年5月17日火曜日、私と母は関西空港からこの巡礼へ旅立っていました。4月中旬から本河内の「コンベンツアル聖母の騎士修道会」の山浦義春神父様のご指導により、聖書や要理を勉強する「ほっとこうざ」が新たに始まり、指導司祭で参加されるこの巡礼の誘いを受けました。何時かは訪れようと思っていたルルドでしたがリジュと聞いた時は、息が止まるかと思いました。母の決断は早く「行きましょう。今がその時なのです。」と…。

2011年5月23日月曜日、私は130年前に聖テレジアが、神様と共に生きたリジュに立つことができ、実家、カルメル修道院、カテドラル巡礼を果たしました。写真集で何度もみていた修道院聖堂に眠る聖テレジアにも、お会いできました。クリプトで捧げられたミサで、私は自らお願いして福音の朗読をさせて頂きました。気丈な私ですが、無意識のうちに緊張と興奮していたのでしょう。足がガクガク震えてしまいました。山浦神父様のお説教をここに書き留めたいのですが、全く覚えていないのです。神様は、聖テレジアが祈りの人であったことを、つねづねおっしゃっています。私は、この日のことを、生涯にわたってお恵みとして祈り続けたいと思います。フランスの守護者である聖テレジアのバジリカは「わたしは、バラの雨を降らせながら天国を過ごしましょう」と、まさにこの言葉どおりの華麗で荘厳さをたたえていました。「全世界を駆けめぐってあなたのみ名を伝えたい。世界の五大陸、またいちばん遠い島々にまで、いちどきに福音を述べ伝えたい。」と病床に伏し、24歳で亡くなった聖テレジアのメッセージがあります。バラの雨が、時間と空間を越えて日本という島国に生まれた私に降りそそいだのです。

この巡礼は山浦神父様を霊的指導者に迎えて、祈りと黙想を主体にしていましたので、今まで参加したどの巡礼よりも、特質したものでした。ルルド滞在中の修道院では、関東、関西、九州から参加した26名が、今この地に集った過程を、分かち合いました。恵まれた環境の中で、各自の心がマリア様によって溶きほぐされたのでしょう。予定時間をかなり超過して、語り合いました。日頃の隣人とのかかわり合いの中で、思い掛けない声掛けがあった方、今までは行くつもりはないと思っていたのに、ふと心が動いた方、フランス在住時の過去の経験を家族とともに経験したい方、信者ではない方も2名いらっしゃいました。インターネットでごらんになったそうです。いずれにしても、さまざまなかたちで神様の呼びかけがあり、神様のお導きで、この時を共有するために、集められたのではないでしょうか。私達は教会であり、家族だと思いました。そして、巡礼は、私がそうであったように、出発日から始まるのではなく、参加決定をする以前から、始まるのではないかと思います。この後、ルルドの斜面に配置されている十字架の道行きに出向いて、感謝を込めて祈りました。雨上がりの清涼感を今も忘れられません。

巡礼を終え、二ヶ月が過ぎ、日常に戻りました。御絵の中の聖テレジアのまっすぐな眼差しは、私を見つめてくださっているように思います。私も眼をそらさずに祈ります。立垣昭神父様、由井滋神父様、山浦義春神父様、倉田昌子様、コムユニティワールドのスタッフの方々、お世話になりました。御礼申し上げます。実りある巡礼を成し遂げました。
田村 豊子


ー ルルド巡礼センター −