ルルド・ヌヴェール・モンサンミッシェルとリジュへの旅


期間:2014年5月19日(月)−27日(火)

吉田顕朋 記



                                                                                     2014年5月29日

5月19日(月) 9時集合、AF 291便にて関空を出発。飛行約12時間半後パリ・シャルル・ドゴール空港に無事到着。5時間後乗継AF7792便にてトウルーズ空港に到着。大型バスにて三ツ星ホテルCOURTYARDに到着・チェックイン。全員爆睡(?)

5月20日(火) 朝マリスト会のオヘール神父様となつかしの電話。大変お元気の様子でお互い喜びあった。フランスバイキングの朝食を満喫。
45年の大ベテランのドライバー・ムッシュー・クリスチャンに信頼して8:45分一路ルルドへ出発。巡礼聖歌隊のきれいな声で聖歌の練習。途中トイレ休憩20分。外の景色は行けどグリン一色の牧草地と農地ばかりで電柱がほとんど地下に埋められ見えない。走行約250km後
12時前に宿泊の修道院に到着。かなり歴史ある食堂でシスター・コンチータ(CONCHITA)のおもてなしで美味しい牛肉のシチューとルルドの赤ワインでホット一息。

午後:沐浴組に別れ、シリルさんがベルナデッタゆかリの地(生家や、
カショ、水車小屋など)日本人以上の流暢な日本語のガイドでうっとり。
21日も沐浴組に別れ全員が沐浴の恵みに預かった。感謝。
5:00PM 服部神父様(尾道教会)の巡礼団(ガイド:長谷川さん)
と、合流し聖域内御堂で初のごミサに預かる。感謝。
修道院にてハムカツ・ポテト・インゲンと赤ワインで満喫。
8:45PMから雨の中ローソク行列に参加。感動。

ルルドは現在年間500万人の巡礼者の訪れる聖地。BC54にローマ 軍が砦を築いた。ガブ川の豊富な水量にサプライズ。

5月21日(水)簡単な朝食後国際ミサに預かる組と沐浴組に別れる。
国際ミサ会場は聖ピオ10世地下大聖堂。聖母ご出現100年を記念して1958年3月25日献堂式。2−3万人が収容でき、天井が箱舟のイメージデザイン。諸聖人のご絵のパネルで音響効果抜群。9時からアフリカの枢機卿による司式。奥村神父様も司教団に参列、ご聖体奉仕をされた。ミサには約2万人が預かり、11時に終了。日本の巡礼団の入堂が欲しかった。

12:30 神戸岡山巡礼団(春名神父、アンデー神父様 金神父様)と
合流後チキンテリネと赤ワインのランチを満喫。雨の中沐浴と観光組に別れる。
16時ごろ雨のため聖ピオ10世地下大聖堂で十字架の道行。
17時聖ガブリエル聖堂にて奥村神父、服部神父、金神父、春名神父
そしてアンデー神父様の式で合同35名参加。感謝。
21時雨が上がりきれいなローソク行列に自由参加。

5月22日(木)聖母マリアのご出現のグロットにてアンデー神父様の司式で6時の早朝プライベートミサ。高山右近の列福祈願ミサ後一同記念撮影。8時20分修道院でのクロワサン・コーヒの最後の朝食後シスターにお礼を述べ、名残惜しいルルドを後にしてバスにて北のボルドーへ向け出発。左手に雪を頂いた美しいピレーネ山脈を観ながらの感動のバスツアー。

約3時間半で350km走破し、ボルドー中央駅前のレストランにて
フランス有名料理の鴨ムース・鯛と赤ワインで満喫。

広大な平地を走るバスの中でシルリさんがユモアーと笑いを交えて明快で流暢な日本語で眠っている巡礼団にフランスの概要とワインの豊富な産地ボルドー地方についての説明。

ボルドー地方の人口85万人(市内は24万人)で面積はパリの5分の2。パリから南西500qに位置。新幹線でパリから2時間。年間250万人の観光客が訪れる。眠れる町と言われ2007年に世界遺産に登録。
AD54年シーザーが占領、AD100年ケルト民族が支配。

石灰岩の土地で気候温暖でブドーに最適、美味しいワインが作れ18世紀には世界最高のワインの産地であった。気温は平均6.6度夏で21度、雨も年間124日で日本の3分の1。また名産のラム酒入りのお菓子カヌレを賞味し、満足。美味しいボルドーランチの後ナントに向けてのバスの中で聖歌のようなシルリさんのフランスについての説明。

フランスの80%は平地(日本は20%)人口は日本の半分で6000万人、人口密度は16分の1と一人当たりの面積はとても広い。
市町村も36000(日本は8000)あり、なんと言語が多くフランス人同士でも言葉が通じない。米・麦が主力で自給率は高く3年間分の貯蔵がある。水も豊富。砂糖・小麦粉は各家庭で非常時に備え貯蔵している。兵役は廃止。カトリック人口64%年々減少気味。政府が教会施設を所有。イスラム教が第2番目の宗教。

ナントはブルーニュー地方を流れるロワール川に恵まれ、花崗岩の肥沃な土地。フランス3番目に大きな市で人口85万人。パリの南西320km。観光客年200万人。野菜・メロンの栽培。白ワイン(ムスカゼ)が美味しい。冬7度夏27度の温暖な土地。ローマ時代ナムネスク民族が住んでいたが、10世紀にバイキング民族が征服。砂糖の三角貿易と奴隷売買で栄えた商業都市。 農業・エアバス航空機の工場。新技術企業の
工業地帯。
なだらかな平地を約5時間(500km)のバスツアーでナントの
クオリテーホテルに到着後、鴨料理の夕食、宿泊。

5月23日(金)6時半の朝食後モン・サン・ミッチェルへ向け約2時間
半(約200km)走り、干潮時のノルマンデーの海岸にそびえたつ
モン・サン・ミッチェルに到着。巡礼者が年間300万人。波は時速3.7kmと速い流れ。人口は45名。修道士はべネデイクト会(男子)エルサレム会(女子)。
708年オベール司教の夢の中に大天使ミカエルが現れてモン(モントング島)と聖ミカエルに奉献、11世紀のゴシック建築の献堂。花崗岩の島のため建築が困難を極めた。イタリアへの巡礼が始まり以後盛んになった。当時の王様貴族が教会に石材・土地を寄付した時代。国が教会を没収。
1863年ナポレオン3世が訪問、修道院を修復。石材のギルドが来て100年を費やして補修工事。一時牢獄に使用。1979年世界遺産に登録。出産の危機、罪人の回心などの奇蹟。聖ミカエルが穴を開けた聖オベールの頭骸骨。

壮大なゴシック様式の大修道院を見学堪能後、大聖堂でベネデイクト会
司祭とエルサレム会のシスターの荘厳なミサに預かる。奥村神父様も共同
司式。フランス語のきれいな聖歌に感動と感謝。
ノルマンデー地方の有名なオムレツランチを満喫後一路バスにて聖地ポンマンへ向かう。約一時間(約100km)でロワール地方の人口3000人
ほどの小さな町ポンマンに到着。年間巡礼者は10−30万人。

1971年1月17日の夕刻、天空に「蒼い服に赤い十字架を持ったマリア」
が4人の子供たちにご出現。「さあ祈りなさい 子供たち 神は間もなく
あなた方の願いを叶えるでしょう」と文字によるお告げがあった。
5日後の1月22日プロシャ戦争が休戦。ポンマン小教区から徴兵された
戦士38名が無事帰還。聖母マリアの恩寵を一層強化する役割を果たした。

17時ポンマンを出発約2時間(200km)で聖テレジアの聖地リジューへ。三ツ星ホテルメルクアホテルにて夕食、宿泊。リジューは人口21000人の町。8−10世紀に造られ、薬工場やガラス工場で有名。

ポンマンからリジューへのバスでノルマンデーの歴史とバイキングの話に
半分寝ながら傾聴。

7−10世紀頃冬の民族が弱肉強食で生き残る。当時商売をしながら各国へ移住。アメリカ大陸・ロシアへも移住し、赤毛民族のロシア帝国を造った。9−10世紀フランスのパリの西側に住む許可を取り、現地人と結婚して定住。ノルマンデーはNorthman land(北の民族の土地)から由来。
硬質の粘土質で地下水が豊富。リンゴの木は多くリンゴジュースやシードル酒が有名。昔これらは薬替わりや消毒・殺菌に使用。

5月24日(土)バイキング式朝食後聖テレジアの生家とバラ庭園を見学。
1873年、ボルドー生まれの父とアランツ生まれの母の9人兄弟の末っ子    
して誕生。父親は時計屋で裕福な家庭で両親の愛のもとに成長。15歳で
カルメル修道院へ。1897年24歳で帰天。1925年聖人列聖。

死後28年後の列聖は異例。聖ジャンヌダルクは1920年に列聖され、聖テレジアとともにフランスの守護聖人。

バシリカ地下聖堂にて奥村神父様司式のごミサ。徒歩で聖テレジアが永遠に
眠るカルメル修道会に戻る。聖テレジアの美しい聖なるご遺体の前でしばら
く黙想。幼きテレジアは活発で自分の道は自分で切り開く生命力を持った
面白い子供であった。
カルメル修道院前のレストランでビーフシチューを満喫。徒歩にてバシリカ
見学・黙想。リジュー教区司教と巡礼歓迎写真。カルメル修道院の隣のエルミ
タージホテルでの宿泊を推薦。

その後パリに向け出発し3時間(約300km)のバスツアーを楽しんだ。
パリの郊外ベルサユー宮殿を経由セーヌ川(古代の物流センター)・エッフェル塔(1889年万博時、高さ300m)・シャンゼリーゼ・凱旋門(1836年ナポレオンのオーストリア戦争記念)・コンコルド広場(分かち合い広場と言われる)・エジプトラムセス2世の碑・オペラ座等を周わっての大サービスパリ観光。感謝。ホテル7:30PM到着・夕食。宿泊。

パリは東京山手線一周34kmの広さ。3万年前にケルト民族が住み、BC52年
ローマからシーザーが征服。パリの名前はパリジス民族に由来。

5月25日(日)バイキングスタイル朝食後 7時40分ホテル出発。行けど 
行けども平原に白い牛さんが牧草原で寝そべっている。さすが原発80%の国。大きな円筒の煙突が白煙を上げて稼働。一見クリーンな感じ。また風力発電も多い。途中トイレ休憩でコクリコットのお酒やジャム・キャンデーを買い込む。約3時間半(350q)走りベルナデッタが永遠に眠るヌベールに到着。人口10万人。ロワール河に面した町、BC54シーザーが食料倉庫の点とした。1575年ルイスコンザック公爵がイタリーより陶器技術を輸入、19世紀に陶器製造拠点として繁栄。F−1サーキット場でも有名。砂糖チョコレートネグが有名。ブルゴニュー地方はドイツに近いのでドイツ風の建物が多く、1508年ドイツ風デザインのカテドラルが建設。

ベルナデッタは1866年7月3日家族に別れ、鞄と傘を持ってルルドを出発 7日にヌベールに到着。

8日ヌベール愛徳修道院で300人のシスターにルルドの聖母マリアのご出現の話をした。1967年7月30日修道女になった。その年12月8日母親が帰天したが帰らず、1871年に父親が帰天した時もルルドに帰らなかった。ベルナデッタは1979年35歳で帰天。樫木の棺に入れられ3日間の追悼式には長蛇の列であった。聖ヤコブ堂に埋葬。

1929年棺が掘り起こされたが埋葬時と変わらず、ロザリオは腐っていた。
その2回掘り起こされ検死。1934年4月8日に列聖。

11時半ベルナデッタの元病室で奥村神父司式のミサ。平井さんのオランダ在の
友人のご主人のハイスさんのための帰天追悼ミサ。その後ベルナデッタの
美しいご遺前でしばらく黙想。修道院食堂で100%牛肉の本物の美味しい
ハンバーグを満喫。ナデッタの博物館を見学。その後一路マグダラマリアを
祀る聖地ベズレーに向かった。約一時間半(150q)でベズレーの丘に到着

ガリア・ローマ時代1300人の人口。現在400人。10世紀バイキングが征服。
1744年は欧州一番のマグダラマリアの巡礼地。現在フランスで年間8番目の
巡礼地100万人。サンチャゴへの巡礼の起点。1876年マグダラマリアの聖骸
返却された。サンマドレーヌ聖堂はゴシックとロマネスク様式の建築。
1920年バシリカとして認可。フランシスコ会とエルサレム会のブラザー
住んでいる。司祭叙階式の行われる聖堂。ベズレーの丘とバシリカの前で
巡礼団の記念撮影。

最後の巡礼地ベズレーを後にパリへ向け一路3時間半(350q)のバスツアー。
フランスの6か所の聖地巡礼をバスにて約2800kmを走破。ほぼフランンス
縦断したことになり日本列島の南北縦断に匹敵する壮大な巡礼ツアー。感動
感謝・感謝。アレルヤ。

最後の晩さん会をパリのレストランでエスカルゴを満喫しながら巡礼団一人
一人の感動を楽しく話し合い。ホテルフォレスヒルで宿泊。

5月26日(月)ゆっくり熟睡後バイキング朝食を楽しみ一路チャールス
ドゴール空港へ。

シルリさんの名ガイドで全員フランスにミサの献金とお土産以外は何も寄付せずにたくさんの巡礼のお恵みをいただき、13:35分パリ発AF292便で予定どうり、11時間の帰路につきました。

5月27日(火)8:00AM定刻に関空に到着。スムースな通関を
終え、奥村神父様の祝福と感謝のお祈りで解散。感謝と歓喜のうちに!!!
COM-UNITYWORLD のきめの細かい、心温まるスタッフのお世話にて
全員元気でフランス巡礼から感謝と歓喜のうちに帰国。神に感謝です。
アレルヤ!!!


 

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