†心と体を癒す聖地 ルルド

〇フランス南部・世界の聖地ルルド
スペインとの国境の町ルルドは、ピレネーの緑豊かな山々に囲まれています。鳥のさえずり、豊かな水量のガブ川、そして年輪をかさねた木々をわたる風が心地よく、旅の疲れを癒してくれます。街を分かつガブ川は聖域に沿って西に曲がり、マッサビエルの洞窟の前へと流れていきます。丘の上に建つ城塞から眺めると、城を囲むように街が広がっていることや、聖域の全貌がよく分かります。
〇ルルドを訪れる人々
さまざまな国、さまざまな地域の人々が、ルルドに来ます。さまざまな職業の人々、老若男女、障害をもつ人、病とともに生きる人。彼等の心はただ、ここに来ることができた喜びにあふれ、生きていることの感謝に満たされる、そんな表情でやって来ます。
@ルルドの旅の出発点
〇ルルド駅
聖域から徒歩約20分、タクシーなら約10分くらいの地点にSNCF(フランス国鉄)ルルド駅があります。街のほぼ中央にあるこの駅は巡礼にとても便利で、時間に余裕があり、古くからのルルド巡礼を踏襲されたい方、また南フランスの旅を満喫されたい方には、ぜひ列車の旅をおすすめします。
〇空からルルドへ
パリ・オルリー空港とパリ・ドゴール空港からの定期便。シーズン中は便数が増えますが日帰りはできません。近くの空港はポー空港が便利です。
グループはツールーズ空港をよく利用します。ルルドまで貸切バスで2時間半の行程です。
〇鉄道でルルドへ
パリ(モンパルナス駅)からルルドへの直行便はナント・ボルドーを経由し、TGVアトランテック(フランスの新幹線)で5時間30分の旅です。
〇空港と聖域間の交通
ポー空港からルルドの中心部まで約30km。バスも運行していますが、タクシーで30分程度なので2〜3名ならタクシーをおすすめします。
〇ルルドの巡礼シーズン
5〜9月まで、特に8〜9月がハイシーズン。ルルドの醍醐味は多くの巡礼者との分かち合いにありますが、ホテルの予約等を考えると気候もよい6〜7月がおすすめです。聖域は一年中門を閉ざすことはありませんが、11〜3月の間はホテルもみやげ物店も休養が多くなりますので、注意が必要です。
A聖域
深い緑と水量豊かなガブ川の自然に囲まれ、この地を訪れた誰をも暖かく包み込んでくれるエリア 「聖域」。365日愛にあふれ、人々で賑わい、ろうそくの灯も決して絶えることはありません。
1877年、このあたりの目印にと立てられた冠の聖母像と、像に対面するようにそびえ立つ大聖堂にはさまれたロザリオ広場を中心に、聖域は広がっています。
高さ70メートルの鐘楼からは、"ルルドのアベ・マリア"の鐘の音が響きわたります。
〇ルルドからのメッセ−ジ
ルルドがなぜ「聖域」と呼ばれ、「友愛の街」と呼ばれるのか  それはベルナデッタと呼ばれる少女が、1858年2月11日から7月16日までの間に体験した出来事から始まります。聖母マリアがベルナデッタの前に姿を現され、言葉を交わされたという事実。18度にわたる"ご出現"は、150年の歳月が過ぎた今も多くの巡礼者の心に昨日の出来事のように語り伝えられているのです。
〇聖域の誕生
13度目のご出現の際、「聖堂を建てるように司祭に伝えなさい」と聖母はベルナデッタに言われました。のちに、そのお望みのとおりに、ルルドに来る大勢の人たちのために礼拝堂がいくつも建てられました。
〇ロザリオ大聖堂
礎石がおかれたのは1883年7月16日、1889年6月8日に工事が完了し、今から約100年前の1901年10月6日に献堂式が行われました。建物はギリシアふう十字型のネオビザンチンスタイルの聖堂です。入口の上部には聖ドミニコにロザリオを手渡す聖母のレリーフがあり、正面のモザイクは教皇レオ13世と、ピオ12世の肖像です。
聖堂に入ってまず目を見張るのは、正面丸天井に描かれた聖母マリアのモザイク画でしょう。両手を広げたマリアを囲むようにたくさんの天使が描かれています。この丸天井は4本の柱に支えられており、丸天井は天国を、四角い基礎部分は地上を表しています。
丸天井を囲む両腕のように袖廊があり、15の「ロザリオの奥義」がモザイクで表現されています。左の袖廊にはイエスの子供時代の出来事「喜びの奥義」が表現され、後方5つの祭壇にはイエスの受難に関連した出来事「苦しみの奥義」が示されています。そして、右の袖廊には「栄えの奥義」が描写されています。
ロザリオ大聖堂前の広場にはボランティアに向かう人々が朝早くから行き交う風景が見られます。神聖な朝の空気のなか、ミサに参加できるのもルルドならではの喜びです。
〇治癒と奇跡
ルルドの水で病が癒える例は無数といえるほどありますが、そのうちで教会から正式に「奇跡」と認定されたのは、これまでに70例に満たない少なさです。
それは、認定のための医学的調査が非常に厳格で、治癒は「確かで、明らかで、医学的に説明不可能であること」が証明されなければならないからです。ですからその数字は、少ないとみるよりも徹底した調査にもかかわらずこんなにもたくさん存在すると考えるべきかも知れません。
〇無原罪の御宿り大聖堂(上部聖堂)
ゴシック建築のこの聖堂は洞窟の真上に建てられ、通常「上部聖堂」と呼ばれています。1866年に着工し、1871年に完成しました。
700人を収容できるこの聖堂には、高さ70メートルの鐘楼があり、午前7時から10時まで15分おきにバジリカの鐘が鳴り、毎時ちょうどにルルドのアベ・マリアが奏でられ、聖域一帯に響き渡ります。
建物中央の扉の上には、1854年「聖母マリアの無原罪の宿りの教義」を宣言したピオ9世の肖像が飾られています。この教義は「聖母マリアがその存在の最初の瞬間からあらゆる罪から守られ、原罪の汚れなく宿られた」ことを宣言したものです。そして、その宣言から4年後の1858年3月25日、ベルナデッタに「わたしは無原罪の宿りです」と告げられたこの言葉こそ、そのご婦人がまさに聖母マリアであることを言い表しているのです。
右側の大理石板には、ご出現の真実性を証明したタルブの審判の際の文書が刻されています。
〇地下聖堂
地下聖堂(クリプト)は聖母マリアの要請で建てられた最初の礼拝堂ですが、実際に地下にあるわけではありません。1866年に完成し、その年の5月19日(聖霊降臨祭の日)、ベルナデッタ出席のもと、主任司祭ペイラマル神父やタルブ教区ローレンス司教によって祝別式が執り行われました。
〇ろうそく行列
ベルナデッタがご出現にあう度に群集は増え続け、洞窟の前に1万人も集まったと言われています。その時の様子をほうふつとさせるろうそく行列は、夜の9時に始まります。参加者はグループごとに聖ベルナデッタ教会の前に集まって、行列を作り、ゆっくり歩き始めます。ベッドに寝たまま参加する人や車椅子の人々を先頭に祈りを唱え、聖歌を歌い、「アベ・マリア」を繰り返してろうそくを掲げます。ロザリオ聖堂のスロープを上がるとよく見えるろうそく行列は何とも美しく、響き渡る「アベ・アベ・アベ・マリア」の歌声は何度聞いても感動します。
〇マッサビエルの洞窟
ロザリオ広場からガブ川に沿って西に曲がり、少し行くと、太い幹のプラタナスの向うにマッサビエルの洞窟があります。
1858年2月11日木曜日、洞窟の近くに薪拾いに来ていたベルナデッタの前に聖母マリアが出現されて以来、マッサビエルの洞窟は人々が心から祈りを捧げる場所となったのでした。
巡礼でここを訪れた人々は一列に並び、岩肌の感触を手で確かめながらゆっくりと洞窟内へと歩いていきます。洞窟の左奥には1858年2月25日、聖母の指示によってベルナデッタが掘った所に湧出した泉があり、今は美しい花で飾られています。少し見上げると岩壁のくぼみにマリア像が置かれ、その台座には『私は無原罪の宿りです』と書かれています。洞窟の左前の地面には石板がはめ込まれ、ベルナデッタが祈ったとされる位置が印されています。中央祭壇の後ろには人々が書いた嘆願の祈りや文書(手紙)を入れる箱が置かれ、右にはご出現以来絶えることのないろうそくが捧げられています。そして、今では黒ずんだ一本の松葉杖が、神の恵みの証として洞窟左上にかけられています。
〇聖体行列
毎日午後4時から、各地からやって来た巡礼団は、御聖体を先頭にして、聖体行列に参加します。聖体行列は聖ベルナデッタ教会前から、ガブ川を越えてゆっくりと進み、ロータリーを回ってロザリオ広場へと向かいます。広場では前列に並んだベッドの人、車椅子の人たちを、聖体が祝福して回ります。
〇牧場でのミサ
マッサビエル洞窟の対岸の芝地では、巡礼者の多い祝日などに、しばしばミサが行われます。ここでもたくさんの病人、障害のある人たちが祭壇を囲んでいます。彼等は、多くのボランティアに支えられながら、ともに幸福を、ともに愛を分かち合っています。
〇ルルドのマリア像
洞窟の岩の裂け目にあるマリア像は、1864年にリヨンの彫刻家ジョセフ・ファビシュにより制作されたものですが、ベルナデッタは自分が見た貴婦人には全く似ていないと言ったとされています。
〇泉と水浴場
『行って泉の水を飲み、体を清めなさい』聖母マリアがベルナデッタに言われたように、ここでは誰もが泉の水に体をひたすことができ、その数は毎年40万人にものぼります。
水浴場は、川に沿って洞窟から西へ行ったところにあり、女性用が11、男性用が6ヵ所あります。そのドアの外には200人以上の人々が順番を待てるように用意されたいすが並んでいます。時として巡礼者のグループが順番を待ちながら祈り続ける光景に出会います。
水浴場に入る順番が来ると着替えをする部屋に通されます。ブルーと白の太いストライプのカーテンはその配色だけで、爽やかな思いにさせてくれます。
泉に湧き出る水はピレネー山脈を350年かかって地下水として湧き出ています。洞窟の泉は運河により、300トン入る二つの地下水槽(一つは水栓の近く、もう一つはロザリオ大聖堂の下)に運ばれています。水温は常時12℃に保たれ、毎年水浴場と水栓で8500トンの水が使用されています。
〇泉の水を汲む人々
ロザリオ大聖堂からマッサビエルの洞窟までの岩肌に沿って、聖水の水栓が引かれています。この泉の水は、純粋で飲用に適しており、この周辺地域の地下水と同質のものです。
人々は祈り、両手で水を受け、大切に口へ運びます。そして、いくつもの容器に聖水を入れ、待っている家族や友人のために持ち帰るのです。
聖水はここルルドから世界中に送ることもできます。また、聖母マリア像の形をした容器をはじめ、色々な容器はみやげ物店で売られています。
〇聖ピオ10世地下大聖堂
サン・ミシェル(聖ミカエル)門から入るとロザリオ大聖堂に向かって左側に、木々の間から亀の甲羅のような広々とした芝生地を見ることができます。その下が地下大聖堂となっています。ご出現から100年を記念して建設され、1958年3月25日献堂式が行われました。
面積は12000平方メートル、長さ191メートル、幅61メートルと世界で最大規模の建造物の一つであり、2〜3万人を収容できる大聖堂です。建物はノアの箱船をイメージしたデザインで、すべての人々が集まる教会として建てられました。近代的な建築とはいえ、地下にあるため、外とはまた違った、静けさと安らぎの世界に吸い込まれていくような、空気を感じます。
回廊に沿って展示された52のジェンマイユ・ステンドグラスは、近代的建築に合わせたモダンなデザインがひときわ目をひきます。15留の十字架の道行き、同じ西側の壁面下部には聖ベルナデッタに聖母マリアが出現された際の話、そして15のロザリオの奥義が表現されています。
〇聖ピオ10世
1835年6月7日、北イタリアのリエセに生まれ、1903〜14年の間教皇に在位しました。『一切をキリストにおいて回復させる』という教会改革を行い、『燃ゆる火』とも称された敬虔な教皇といわれています。
第一次大戦中の1914年没。1954年に列聖されました。
〇聖ベルナデッタ教会
聖ベルナデッタが最後のご出現の日にたたずんでいた場所に建てられており、1988年3月25日に祝別式が行われました。建物は近代的で、収容人数は5000人。大学の講堂を思わせる、光に満ちた空間です。祭壇中央につり下げられたキリスト像は光り輝き、大きく両手を広げて、巡礼者を迎えてくれます。
〇二つの門と冠の聖母
聖域の一番東、正門にあたるサン・ミシェル門からは、手前から十字架、冠の聖母像、そして上部聖堂の鐘楼の塔が一直線に重なって見えます。山々の緑に映えるここからの景色は記念写真に最適です。もう一つの門は聖域中央の南にあるサン・ジョセフ(聖ヨセフ)門で、ホテル街に面していることから通用門といえるでしょう。門からゆったりとした坂を下りていくと、どこからともなくいい香りが漂ってきます。鳥の声に迎えられ、王冠を頂いたマリア像の広場へと出ると、早朝、マリア像の前ではボランティアに出かける小さなグループがお祈りをしている光景に出会います。この像は、1877年に建てられ、多くの巡礼者が捧げる花でいつも美しく飾られています。
〇ボランティア
ルルドでは介護を必要とする人1万人に対して3万人のボランティアがいるといわれます。そして、今ボランティアに申し込んだとしても3年後にしかチャンスはやって来ません。それほどルルドはボランティアを望む人が多い所なのです。
ある人はルルドに来るために母国で半年働き、あとの半年をボランティアとして働くといた生活を長年続けています。またある人は癒された喜びを返したいと、自らの障害を乗り越え、ボランティアに参加しているのです。
真っ白のユニフォームを着た小さな天使からベテランのナースたち、誇らしげにベルトを肩から下げた男性まで、あらゆる人々が充実した人生のひとときをここで過ごしています。
Bベルナデッタゆかりの地
〇ボリ−の水車小屋(ベルナデッタ生家)
ルルドに流れるラパカ川という小川には5つの水車小屋がありました。その1つ「ボリ−」という水車小屋で、1844年1月7日、ベルナデッタは粉引き職人の子どもとして生まれました。一家にとってここに住んでいた10年間はとても幸せな時代でした。ベルナデッタは両親からはもちろんのこと、周囲の人からもとても愛され、愛に包まれて育っていきます。後にそのことが、彼女を取り巻くあらゆる苦境に対し、神を信じ、人を愛し、何事も乗り越えていく人格を作り上げていくのです。よく働き、人のために生きる、そんなベルナデッタ一家でしたが、1854年、地代が支払えなくなり、水車小屋を立ち退くこととなります。そして一家は貧困への坂道を下ってゆきます。
水車小屋の1階には当時の面影を残す古い水車が保存されています。2階はベルナデッタが生まれた部屋、そして台所はリビングでもあり客間でもあった、そんな彼らの生活がうかがえる部屋が、昔のまま復元されています。
〇ベルナデッタの家族
貧しく善良な信徒である父フランソワ・スビルーと母ルイ−ズ・カステローの間には6人の子どもがあり、ベルナデッタは長女として生まれました。ルルドでは男女を問わず第一子は跡取りとされていました。そのため、ベルナデッタは、生涯家族に対して強い責任感を持ち続けていたといいます。
父はピレネー地方から一歩も出ることなく1871年3月4日この世を去ります。ヌヴェールの修道院に移っていたベルナデッタはその訃報を聞いて深い悲しみに打ちひしがれ、妹マリーに「どんなに悲しくとも神の御心に従いましょう」と手紙を送っています。
父を亡くしたベルナデッタは長女として家族と離れて暮らしていることに苦しみ、いつも家族の心に自分の心をあわせていました。特に次々と子どもを亡くした妹トワネットの悲しみに泣き、家族が神の教えを守っているかを心配し、金持ちになることよりも正しい生活を送ることだけを望んでいました。
〇カショー(牢獄跡)
1857年の冬から約一年間ベルナデッタ一家が住んだこの牢獄跡の一室は今まで住んだどこよりも汚く狭く、暗い部屋でした。そして、この一年の間に大きな出来事が起こったのです。相継ぐ不運の末、無一文となった一家は借家を離れ、無料とはいえ不衛生でじめじめとしたこの部屋に入ることが許されます。その当時ベルナデッタの下には三人の弟妹がいました。子守りをしながら、すぐ下の妹と二人で薪や鉄くずを拾い集め、生活の足しにと働いていました。子どもたちにとって、この部屋から学校に通うことよりも、洞窟に薪拾いに行くことが日常となっていました。そんな苦しい時期にベルナデッタは聖母マリアの出現に出会うこととなるのです。
カショーは1995年〜96年に改修され、1メートル四方の岩床が16枚敷かれた狭く冷たい牢獄跡を今も見ることができます。現在は部屋の周りに長椅子が置かれ、しばし祈りを捧げることができます。衛生的でないという理由から、牢獄としてすら使われなくなったこの部屋で暮らすベルナデッタを聖母マリアは選ばれたのです。
〇ベルナデッタの洗礼
1844年1月9日、ベルナデッタはルルドの小教区教会で幼児洗礼を受けました。当時の教会は火災にあい、その後再建されました。その時の洗礼盤は今もこの教会に息づいています。
〇昔の司祭館
「聖堂を建て」「行列するように」という聖母のことばを、ルルドの主任司祭であったペイラマル神父に伝えたときの司祭館。神父はそのときベルナデッタの言葉を信じず、その人の名前を聞くように言ったところ、3月25日のご出現で、聖母はベルナデッタに、ご自身は「インマクラダ・カウンセプシウ」(無原罪の御宿り)と伝えます。
ベルナデッタは、そのことばを忘れないように何度もくりかえしながら歩いたのです。
この建物は現在図書館になっていますが、ドアと庭の垣根部分は昔のまま保存されています。
〇ルルド小教区教会(サクレ・クール教会)
当時の教会は1905年に取り壊され、現在の教会は再建されたものです。当時を偲ぶものは、1844年1月9日にベルナデッタが洗礼を受けた洗礼盤と、洗礼者ヨハネと処女マリアの像だけです。
内部に入ると左の壁にベルナデッタがこの教会で洗礼を受けたことを表す証明書が掲げられています。正面中央にはパイプオルガンが置かれ、その上のステンドグラスからは美しいブルーの光が目に飛び込んできます。地下には1877年9月8日に亡くなった主任司祭ペイラマルの墓があります。この司祭こそ、苦悩の末にベルナデッタの信じがたい出来事を「真実」であると受け入れた当時の神父なのです。
〇ベルナデッタ一家の家
この家は、ご出現の後のベルナデッタ一家をカショー住まいから救うために、ペイラマル神父が借り、後にローレンス司教が一家に与えたものです。
外階段を上って簡単な資料館から二階のベランダづたいに家に入ると、ベルナデッタと家族の寝室など当時の様子が保存されています。一階には、父フランソワが働いていたという水車や、ベルナデッタがヌヴェールに出発する際に家族に別れを告げた台所が残っています。
〇プチ・トレイン
ルルドの街に入ると、遊園地にあるような可愛い電車が走っています。これは訪問者をルルドの主要な場所へと送る、列車を模した観光バスなのです。ローレンス広場から乗車でき、グロット大通りからペイラマル通り、ピレーネ通り、フランシス・ラガルデ−ル通り、そしてグロット大通りへと回っています。
〇ホスピスでのベルナデッタの生活
ホスピスにはルルドに唯一あった小学校が付属していて、このホスピスで働きながら、ベルナデッタははじめて学校で勉強することができたのでした。ここに入ったのは、あまりにもベルナデッタが有名になりすぎ、来客の応対で健康が心配されたからです。16才に達していたベルナデッタにとって勉強はとても大変なことで、1858年6月3日に、ようやく聖体拝領をすることができたのでした。
〇ホスピス
ベルナデッタがヌヴェール愛徳修道会の修道院に入るまでの間暮らしたのが、このホスピスでした。賑やかな街からゆっくりと坂を登りつめた街の外れ、現在は総合病院の中にホスピスはあります。建物の右に小さい礼拝堂があり、その扉の向こうにベルナデッタの遺品が展示されている部屋と祈りの部屋があります。美しい文字で書かれた肉筆やわずかな持ち物を見ていると彼女が廊下を歩く姿や、祈っている姿が浮かんできます。
〇バルトレス
ルルドから約4q、静かなバルトレスの村は、ベルナデッタの一生にとって大きな意味をもっています。美しいバルトレスの村には、今もベルナデッタが預けられていた乳母の家や納屋、羊小屋が残っていて見学することができます。また、洗礼者ヨハネに捧げられた小教区教会は、彼女が祈りを捧げ、ミサにあずかった場所として忘れることができません。静かな山村は、ベルナデッタが暮らしていたころのまま、時が止まっているように思えます。
〇バルトレスの村
乳飲み子だったベルナデッタは、母が胸に火傷を負ったためにこのバルトレスに住むマリー・ラギュ−という乳母にあずけられます。
その後1857年9月から数ヶ月、ご出現直前まで口減らしのためにふたたびバルトレスの乳母にあずけられます。今度は子守りと羊飼いとして働き、そのうえあらゆる家事を強いられお手伝いとしても働かされることとなります。
働くことは苦にならないベルナデッタでしたが、アデール神父のもとで初聖体準備の勉強をさせてもらう約束が果たされなかったは一番辛いことだったようです。
乳飲み子だったときもそうだったように、父フランソワはたびたびベルナデッタに会いにバルトレスを訪れています。
〇バルトレスへの巡礼
バルトレスへはタルブ空港に向かう道からバスで入ることが多いのですが、グロット前からガブ川を渡り、聖ベルナデッタ教会の前を通って、ベルナデッタが実際に歩いた道をたどることもできます。
ベルナデッタの歩みを追体験できるこの道を歩いてみることをおすすめします。
Cルルド・タウンガイド
ルルドの町は明るく、気どったところがまったくありません。こぢんまりとした町ですので、坂さえ気にならなければ、どこへでも歩いて回れます。ルルドの記念品やバスク地方名物のベレー帽などを売るみやげ物店が軒を連ね、同じような物を売っているのにどのお店ものぞいてみたくなります。国境が近い町だけにどこかスペインの色を感じます。また、古い歴史をもつこの街には小さな博物館がたくさん点在していて、博物館巡りをするだけで町全体をぐるり散策できます。
〇城塞とピレネー博物館
聖域からはもちろん、町のどこからもこの要塞を見ることができます。随分高台にお城があるように思えますが、エレベーターの乗り場から大型のエレベーターであっという間に着いてしまいます。
ルルドは中世から現代まで、ピレネー地方の要として重要な地点だったことから、この要塞は軍隊にとって際だった役割を果たして来ました。778年にはシャルル大帝に治められ(伝説)、あるときは牢獄として使われ、16世紀〜17世紀にはビゴール伯爵の居城でした。
ローマ時代の名残は石碑や彫像の断片に見ることができます。11〜12世紀のロマネスク様式、13〜14世紀のゴシック様式と、城壁のあちこちにその様式を残していることから、あらゆる時代がここを必要としてきたことが分かります。時代とともに城主がかわり、宗教戦争や17世紀の地震により大きく破壊されましたが、1856年から約70年かかって現在の姿に復元されました。
エレベーターで登る城からの眺めは格別で、聖域は一枚の絵画のように、またルルドの街を360度見渡すことができ、遠くにはピレネー山脈の頂も望めます。ぜひおすすめしたい展望地です。
1921年からはピレネー博物館となり、展示室は18あります。ピレネー地方の生活や民俗学、生物学や考古学、建築、宗教美術装飾品やジェンマイユステンドグラスの作品を展示する美術館、ピレネー地方の資料を保存する図書館もあります。中庭には石造りのミニチュアの建物がたくさん作られていて、時代や地方の違いを見るのも楽しいものです。
砦内のかわいい教会も必見です。
〇ジュール山ケーブルカー
ケーブルカーがピレーネ山脈へと続くジュール山頂へと運んでくれます。夜空に輝く巨大な十字架を頂く標高1000メートルの山頂へは松林の中を6分の行程で進みます。頂上からはルルドの街やタルブ、遠くはピレネー山脈の素晴らしい景色を一望することができます。ヨーロッパで一番高い洞窟の中の展示場では、音と光による案内と展示が行われています。
塔泣泣hのミニ博物館
〇キリスト降誕博物館
イエスの誕生の様子が一目見て分かるように再現されています。また、イエスの子供時代や聖書の中の場面場面も小さな彫像によって、リアルに生き生きと表現されています。その他、ピレネー地方の家や、村のクリスマスイブの様子、100人以上のサントンス(小さい彫像)の生活、昔の商いの様子などが表現されています。
〇プチ・ルルド博物館
野外に精巧に再現されたミニチュア美術館。1858年ルルドで起こった物語の一部始終を、美しい自然の中を散歩しながら見ることができます。当時のルルドの様子や昔の石づくりの家、水車小屋などが庭園の中に作られています。町から少し離れていますが、一見の価値はあります。
〇グレヴァン博物館
100人以上の蝋人形により、聖書物語やベルナデッタの生涯をたどれます。18の場面には、ヌヴェールのサン・ジルダ−ル修道院も復元されており、迫力があるのはレオナルド・ダ・ビンチの"最後の晩餐"で、巡礼者に人気があります。
〇ジェンマイユ・ステンドグラス美術館
聖ピオ10世地下大聖堂の壁面に飾られている52のステンドグラス。その作家の作品を展示しています。
Gemmailとは1939年に画家のジャン・クロッテイと科学者のエマニュエル・マレルブによって、鉛の枠を使わない方法のステンドグラスとして開発されました。ガラスを絵の具のように自由自在に重ね合わせ、ガラスの色彩と光をみごとに調和させて表現しています。また著名な画家の名画がこの手法で表現され、光を帯びた作品は、本物とは違った迫力で迫ってきます。
〇ルルド博物館
1858年ベルナデッタに起こった出来事が、照明と音、ナレーションによる案内と展示で、劇場でみるように紹介されています。そのほか、4000点以上に及ぶ当時の衣装を見ることができ、昔の職業や生活を知ることができます。
〇不思議のメダイセンター
カショーのすぐ近くにあり、不思議のメダイで知られる聖カタリナ・ラブレの一生を、等身大の蝋人形を使って巧みに演出したスペクタルで再現しています。日本語バージョンもあります。
ルルド・ヌヴェール巡礼の旅より

TEL:0728-63-6667 FAX:0728-63-6668 E-mail:lourdes@com-unity.co.jp http://www.cybersuds.co.jp/ge/lourdes
センター(open)土、日、祭日を除く午前9時〜午後6時、以外の時間帯はFAX,E-mailでお問い合わせください。
Com-unity 13-5 Kitade-cho Shijounawate-city OSAKA JAPAN
Produced by Lourdes Pilgrimage Center 2009December