フランス ルルド・ヌベール巡礼の旅
                                                            佐藤 光

2005/11/26 - 12/1


去る11月25日から12月2日まで、縁あってフランスのルルド・ヌベール巡礼の旅に出掛けた旅行記を拙い文で恐縮ですがご紹介させていただきます。
 クリスチャンでない私が、どうしてカトリックの聖地に巡礼に行くのか不思議というか疑問に思われる方が殆どと思いますので、先ずはここからお話いたします。
 昨年から体調を崩していた義姉の容態が思わしくなく、妻が看病のため帰省したのが今年の8月初旬でした。妻の故郷である福岡県行橋市新田原(しんでんばる)は、殆どがカトリック信者といっても過言ではない地域であり、そのルーツは遠く長崎県の五島であり、宗教弾圧が厳しかった頃に現在の地に移ってきたのだということです。当然のことながら妻も生まれながらのクリスチャンであり、私たちが結婚する際には、追々私が信者になることを約して盛岡の四ッ家教会で式を挙げたのでした。
 また、私の母は40代半ばに盛岡の天神町から箱清水に引越し、その頃現在のアネックス川徳の所にあったドミニカン修道院から定時に聴こえてくる鐘の音になぜか惹かれるものを感じてその門を叩き、熱心に教えを説くシスターに感動して極々自然にクリスチャンになっていました。
 更に今から13年前、肺がんを患っていた父は、臨終の数日前に洗礼を受け、今は十字架を模った我が家の墓に眠っています。
 このようにキリスト教と深い縁がありながら、私は神からお呼びがかからないなどと屁理屈を言いながら入信するのをずるずると引き延ばしていたのです。
 そして、8月の下旬だったと思いますが、九州で看護していた妻から、義姉が行こうとして申し込んでいた今回のルルド・ヌベール巡礼の旅に自分は行けないから代わりに妻に私と母の3人でぜひ行ってほしいと、それはまるで遺言ともとれるような願いを伝えてきたのです。
 しかし、入社後半年が経つか経たないかで長期休暇をとることに躊躇を覚えたことと、フランスという国が、私の偏見かもしれませんがなんとなく気取っていて気位が高いような感じをもっていたこともあって、なかなか決断が出来ませんでした。
 しかし、身内を褒めるのもなんですが義姉は人間として本当に素晴らしく、19歳で父を33歳で母を亡くした妻にとっては、一番頼りになる存在であり私も尊敬していましたし、これも何かの縁というか巡り合わせなのだと思い巡礼に参加することを決意、すぐ社長に事情を話して許可をいただき、またオーナーにも快く我儘を受け入れていただき、晴れて84歳になる母と妻と3人での巡礼がスタートしたのでした。
かなり前置きが長くなりましたが、いよいよ11月25日盛岡駅を発ち関西空港に向かいましたが、新幹線を乗り継ぐ8時間近くの道程も3人連れのせいかあっという間に過ぎ、その日は空港のターミナルビルにあるホテルに泊り、翌日、ツアーに参加する仲間9人と合流し総勢12名を乗せたエールフランス291便は正午に関西空港を離陸したのでした。
 目的地までの所要時間が12時間と聞きこの狭い座席でどうしようかとかなり不安でしたが、この間母は主治医の先生から言われたことを忠実に守り、数時間置きに座席を立って後部に行っては屈伸運動をしたり日本人のスチュワーデスさんとお話しをしたりと、とても元気で私たちの心配が無用だったのには正直驚きでした。
 漸く目的地であるシャルルドゴール空港に着いたのは、現地時間の午後4時過ぎ、8時間の時差があるので当たり前なのに何故か前に戻ったような気がして得した気分になったのは、私だけだったのでしょうか?。そんなことを考えているうちにトラブル第1号発生、なんと乗り継ぐ国内線の飛行機が雪のために欠航するとのこと。待つこと数時間エールフランスのカウンターで長いこと交渉していたツアー会社の社長から今夜はパリで泊まり明日朝一の便で発ちますと伝えられ一安心。
 ここで余談ですが、交渉している最中に社長と対応していたエールフランスの社員が勤務時間が終わるので、後は別の社員と話してとさっさと帰ってしまったと聞かされ、日本では考えられない対応にお国柄の違いを感じずにはいられませんでした。
 翌朝、ドゴール空港からトゥールーズに飛びそこからバスに乗り初冬の田園風景を眺めながら午前11時頃、スペイン国境のピレネー山脈の麓にある巡礼の地ルルドに漸く着きました。
 ここで、どうしてルルドがカトリックの聖地になったかを簡単に紹介しておきます。
 それまでいくつかの奇跡が起こっていたルルドで1850年代にベルナデッタという14歳の少女がマリア様に実際に出会った洞窟があり、そこに湧き出る泉が聖水として信じる人全てを癒してくれるのだそうです。あまり簡単なので信者の方には叱られそうですが、なんと毎年500万人もの巡礼者が訪れるのだそうですからビックリです。
 午後、みぞれ混じりの冷たい雨の中、修道院から歩いてルルドの泉に向かいました。
 巡礼者用のホテルが立ち並ぶ石畳の道を降りていくと突然大きな門があり、その奥に高くそびえる聖堂が現れその下にこの洞窟がありました。そこの祭壇に義姉の写真を置きお祈りをしながら涙を流す妻の姿がいまだに目に焼きついています。
 その後、入浴場で沐浴した後、聖堂の中や聖ベルナデッタの生家などを見て回ったのですが、普段では考えられない距離をしかも冷たい雨が降りしきる中、歩き続けることに不思議と腹も立てずにいる自分に、そろそろお呼びがかかったのかと思ってしまいました。母も皆からは少し遅れることはあっても上り坂も頑張り通したのには感心しました。
 翌朝、再びルルドの泉を訪れ日本に持ち帰る湧き水である聖水を汲みリュックに背負って、ルルド駅からTGV(フランスの新幹線)で5時間半かかり、パリのモンパルナス駅に到着しました。
 そこからタクシーでホテルに向かったのですが、乗ったのは家族3人、降りるときの支払いと領収書を貰うのに苦労したのはいうまでもありませんでした。
 ホテルの部屋に入り、暖房を入れるためコントローラーに手を掛けたとたん目に飛び込んできたのは、なんとダイキンのマークでした。なんとなくうれしい気分になりました。
 次の日は、地下鉄でリヨン駅まで行き、そこから列車でヌベールへ、あの聖ベルナデッタが22歳の時から35歳で息を引き取るまで過ごしたサン・ジルダール修道院に行きました。ここには、死後120数年経った今でも本当に生きているかのように高貴なまでに美しいベルナデッタが聖堂に安置されているのでした。嘘とお思いでしょうがこの目で見た私には、ただ奇蹟としか言いようのないものであったことは紛れもない事実です。
 ただ荷物持ちのつもりでとの気持ちもあった今回の旅でしたが、母が日本に着くなりもっと体を鍛えて来年また参加したいと3人の中で一番元気に帰ってきて、今まで迷惑ばかり掛けてきた母に僅かな親孝行ができたかなという喜びと、義姉が4月に今回と同じ道程(新田原教会のリーダーとして)を辿った場所で妻が姉を偲びその死を受け入れる大きなきっかけとなれたことは最大の収穫でした。そして私自身にとっても宿泊先の修道院で戴いたお皿まで温めて出されたフランスの家庭料理の温もりとフランスパンの美味しさも含め、抱いていたフランスへのイメージが良い意味で大きく変貌した旅となりました。妻の言葉を借りればとても大きな恵みをたくさん戴けた旅だったといえるでしょう。
 終わりに、留守中大変ご迷惑をお掛けした皆様に改めてお詫び申しあげますと共に心から感謝いたします。
 
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