聖地をひらく



2008年5月   岡本 亮輔

(ボランティア・スタッフ,筑波大学大学院生)


ロバとサンチャゴ巡礼(プロミスタにて)
「旅する人」と題された論文で,ある宗教研究者が,2000年にローマで開かれた世界青年大会に集まった250万人の人々について,「こうした若者たちがツーリストなのか,カトリック信者なのか,好奇心から来た者なのか,行楽客なのか,巡礼者なのかを一言で言うのは難しい」と述べています。「なにも一言で言わなくても・・・・」とも思いますが,サンチャゴ巡礼にご一緒させて頂いて,やはり「難しい」と思いました。
しかし,いったいどのように「難しい」のでしょうか。
 今回はルルド,サンチャゴ,ファティマを中心に,南欧をトゥールーズからリスボンまで横断するという壮大な旅でした。 どの聖地にも,色々な国からやってきた,たくさんの方がいらっしゃいました。たしかに,こうした人々がツーリストなのか,カトリック信者なのか,好奇心から来た方なのか,行楽客なのか,巡礼者なのかを判断するのは難しいと思います。
 そこで逆にして,「〜である」と考えるのではなく,「〜ではない」と考えてみることにしました。
 とりあえず自分自身について当てはまらないのは「カトリック信者」ということだけで,あとはすべて当てはまってしまう気がします。そして,ひょっとしたら違うのかもしれませんが,参加されていた他のカトリック信者の方々も,多くに当てはまるのではないでしょうか。
もちろん,カトリック信者としてこうした聖地へ行くということが大事な動機になっていることは間違いないでしょう。しかし,実際にはそれだけではなくて,現地で美味しいものを食べたり,お酒を飲んだり,他の方々と仲良くなったり,そういったこと全てが巡礼を形作っていたのではないでしょうか。
ある参加者の方が教えて下さったのですが,普通の旅行ツアーと巡礼には大きな違いがあるそうです。それは,日程が進むにつれて,巡礼では参加者同士がどんどん仲良くなることだそうです。
たしかに普通の旅行ツアーでは,食事の時に同じテーブルについた時などに,たまに気まずい雰囲気になったりします。しかし,今回の旅ではそんなことはありませんでした。
人類学者のヴィクター・ターナーは,こうした巡礼の過程で生まれる連帯感や同胞意識のことを「コミュニタス」と呼びました。
他の参加者と色々な話をして,一緒に食事をとって,交流を深めながら聖地を訪れることで,その聖地への巡礼体験は,さらに充実したものになるのではないでしょうか。
今回の旅では,本当にたくさんの聖地や史跡を巡りました。
私の記憶の中では,どの場所も参加された皆さんと結びついています。
あの時ある方が家族の話をしていたとか,レオンで突然大雨が降ってきて皆でバールに駆け込んだとか,ブルゴスにトイレがなかったとか,フロミスタで神父様に葉巻の吸い方を教えてもらったとか,聖体訪問の時の歌が自分の好きな歌だったとか。特にルルドの修道院で,他のグループと一緒に巡礼団全体で一緒に食事をした時の印象が鮮烈です。
こうやって書くとなんだかどうでも良いことのようですが,これらの出来事全部が,どの聖地とも結びついていて,それが自分の聖地の記憶や体験の核になっています。
逆にいえば,こうした他の方々との体験や思い出を切り離してしまうと,どの聖地の記憶も曖昧になってしまうような気がします。
これまでにも日本やヨーロッパでたくさんの聖地や教会を巡って調査をしてきましたが,その中でも良く覚えている場所では,必ず他の訪問者の方と交流をもった場所です。そうでない場所では,その聖地に対する体験がなんだか浅いような気がします。それを「巡礼」と言ってしまうのは非常に憚られます。
 逆にいえば,コミュニタスの記憶と一緒に思い出せる聖地への旅行ならば,たとえ自分がキリスト者ではなくても,それは巡礼だったと言っても良いような気がします(本当は良くないのかもしれませんが・・・)。
 最近「スピリチュアル」という言葉が盛んに使われますが,この言葉は,こうした教義的には位置づけられていなくても,ひとりひとりにとって重要な体験を表現するための言葉だといえます。
 たとえば,ルルドの巡礼については,今年は御出現から150周年ということで「免償規定」が布告されました。巡礼に行く期間,巡礼の順序,祈りの仕方などが細かく定められています。こうしたことが,とりわけカトリックの巡礼者にとって重要なことはいうまでもありません。しかし,実際の巡礼では,規定には表れてこない多くの出来事があって,そうしたものも巡礼の大事な場面になっています。
今回の旅では,サンチャゴの道を行く世界中から来た多くの方に会いました。歩く人,自転車で行く人,キャンピングカーで行く人,一人で歩く人,集団で歩く人と,様々な巡礼者がいました。こうした方々のすべてがカトリック信者なわけではありません。しかし,おそらく道の上では色々な出来事があって,そうしたものを通じて,彼らもかけがえのない巡礼体験をしているのではないでしょうか。
フロミスタの巡礼宿の前の広場では,ロバで巡礼を行っているフランス人の方と会いしました。この方は,定年退職後,まずロバについて勉強して,それからロバを買って数年かけて育て,そして一緒に家の前から歩き始めたそうです。
この方はカトリック信者ではないといっていました。しかし,ロバを連れて1000キロ以上歩くということは,意義のある体験をもたらしてくれるでしょう。サンチャゴへの道の途上では,ロバに飼い葉をやることでもスピリチュアルなものになるのではないかと思います(実際はまったくそんなことはないのかもしれませんが・・・・)。
聖地へ向かう人々が「ツーリストなのか,カトリック信者なのか,好奇心から来た者なのか,行楽客なのか,巡礼者なのかを一言で言うのは難しい」のは,ひとりひとりの体験が非常に多様で,様々な深さを持っているからではないでしょうか。場面に応じて,ある人がツーリストになったり,行楽客になったり,巡礼者になったりするのが巡礼行の実際であると感じました。
ひとりひとりが体験する様々な出来事が積み重なって巡礼が形作られているのであれとすれば,巡礼の道は誰にでも開かれているといえるのではないでしょうか。サンチャゴへの歩き巡礼者のすべてが,決して敬虔なカトリック信者ではありません。しかし,それにもかかわらず,一部の人は何度も巡礼を行うリピーターであるということが,その何よりの証拠です。
 そのような意味では,サンチャゴやルルドはカトリックの聖地として始まりながらも,そうでない人々も強烈にひきつける「開かれた聖地」になっています。あるいは,聖地巡礼というのは,聖地への到着だけではなく,そこへ向かう途中で,普段の生活では出会えない人との交流や出来事を体験し,それによってあらためて日常を見直すための手段だといえるかもしれません。
 今回の巡礼には,ザビエル城や聖フランシスコ・ブランコの生まれたタメイロン村など,日本人にゆかりのある場所が組み込まれていましたが,多くの方が「日本のキリスト教のルーツを見られて嬉しかった」ということをおっしゃっていました。特にタメイロン村が印象的でした。
 飛行機どころか,車も自転車もない時代に,スペインのこんな小さな村から日本まで来たことが信じられませんでした。非常に質素な小さな村で,一軒バールがあるだけで,他には何もなかったと思います。バスが何度か民家の壁をこすって,バスを下りるころには村の人がほとんど出てきていたことも覚えています。
 タメイロン村をここまで親身に感じ,ここに巡礼できることを嬉しく思うのも,日本から来たからではないでしょうか。ミネソタのアメリカ人やパリのフランス人であったら,ひょっとしたら,ここまで強くタメイロン村に思い入れを持つことができないかもしれません。
 また,ファティマでは,ミサの時に,同行されたお二人の神父様も祭壇に上がられ,ポルトガル語と日本語の両方でミサが進みました。しかも,このミサはテレビ中継されていました。こうしたことも,ファティマという聖地を,さらに特別な場所にしたのではないかと思います。
今回はブルゴス大聖堂やトマールの修道院など,世界遺産に認定されている場所もいくつも訪れました。もちろん,こうした建物は素晴らしいものですが,タメイロン村の素朴な教会に感じたような強い絆は感じませんでした。世界遺産は,主に歴史的価値・美術的価値に基づいて認定されます。こうした価値観は普遍的なものですから,多くの人の共感をえられるでしょう。
一方,個人的な体験を積み重ねていく巡礼では,個人的な尺度から聖地がひらかれてゆきます。そのため,多くの人は何の感慨もなく通り過ぎてしまうかもしれない場所が,巡礼を通じて,一部の人にとっては本当に大事な思い入れのある場所になることもあります。神父様によれば,そもそも中世の頃から,サンチャゴの道を歩いていたのは「正直な巡礼者」だけではなく,囚人,吟遊詩人,乞食,冒険家,放浪者,逃亡中の犯罪者,盗賊などがたくさんいたそうです。囚人には囚人の,詩人には詩人の,冒険家には冒険家の,逃亡中の犯罪者には逃亡中の犯罪者なりの巡礼体験があって,様々な仕方で聖地がひらかれていたのではないでしょうか。
末筆にはなりますが,今回の巡礼をご一緒して下さった巡礼団の皆様,ヤマス神父様とモラレス神父様,そして貴重な機会を与えて下さった松村さんに,心より感謝申し上げます。
岡本 亮輔
(ボランティア・スタッフ,筑波大学大学院生)

タメイロン村の教会と聖ブランコの生家