2010/11/11~2010/11/19
イスラエル巡礼の旅
畠中周治

〔村田 稔神父・ヤマス ジョセプ神父・申 繁時神父さまと行く聖地巡礼の旅〕
                    巡 礼 記          
大阪教区堺ブロック(堺・金剛・泉北・橋本)教会の信徒の呼びかけから始まったイスラエル巡礼の話が拡がり、ブロック外の信徒と神父さまを含む23名の参加者と旅行社の同行スタッフで出発することになりました。今回の参加にあたり、2010年6月から計5回、巡礼で訪れる教会や遺跡について、聖書をもとに村田神父さまよりご教示していただき、また、企画の旅行社代表松村さんから、イスラエル旅行の心得など指示していただき巡礼にのぞみました。
11/11(木) 日本〜イスラエル
07:45関空集合〜08:10搭乗手続き〜09:45関空発(大韓航空便)〜11:23ソウル仁川空港着〜12:00空港内祈祷室でミサ・自己紹介〜13:00昼食〜14:45飛行機乗継ぎ手続〜16:00ソウル仁川空港発(大韓航空便)〜20:40テルアビブ ベン・グリオン空港着〜21:30ホテル(MARINA)へ(専用バス)
 
関西国際空港を予定通り出発し、仁川空港到着後まず空港施設にある祈祷室で、この巡礼の旅の出発にあたり、参加者全員自己紹介を行い、巡礼団としての申し合せ事項を決めました。そして、旅行期間中の毎日のミサ典礼と聖歌集を各自に頂き、三人の神父さまにより今日のミサをあずかり祈りを捧げました。乗継ぎ手続きをして、いよいよイスラエルに向け飛び立ちました。ソウルからテルアビブまで、時差7時間を含め飛行時間は11時間40分でした。

11/12(金) テルアビブ〜メギド〜ハイファ〜カルメル山〜ティベリア  
07:00朝食〜09:00バスでメギドへ(専用バス)〜10:25メギドの丘(ハルマゲドン)巡礼〜12:00昼食〜13:30ハイファへ向う〜15:00カルメル山 ムフラカの丘 聖エリヤ修道院(カルメル修道会)巡礼〜聖マリア教会(カルメル修道院)でミサ〜15:50ティベリアへ〜17:45ホテル(REONARDO)着〜18:30夕食
   
朝食後、地中海に面したホテル周辺を散策、海岸に沿って高層のホテルやマンションが並び、浜辺の公園には大きなナツメヤシの木の林や屋外プールがあり、半袖でジョギングの人、泳ぐ人など、夏が終わってない明るいさわやかな風景にふれ、長時間飛行の疲れもわすれました。9時からのバス走行では朝の祈りからはじまって、同行してくださる現地ガイドさんの案内がスタートしました。メギドの丘に向け、海岸に並行する道路を北上し市街から離れ、やがて緑豊かなエズレル平原にある小高い山に着きました。ふもとにある資料館で展示されている出土品の説明、図面や模型での説明をガイドさんより受けた後、メギドの丘へ歩いて登り遺跡を見学してまわりました。発掘調査がすすめられ紀元前15・6世紀のカナン人の時代(士師記5:19)までさかのぼる29の各時代の街の地層が積みあがり、それぞれの年代の文化が発掘によって確認されているとのことでした。そして、モーセの後継者ヨシュアが、この約束の地カナンへの侵攻に勝利した(ヨシュア記12:21)紀元前12世紀、ソロモン治世(列王記上4:12)の紀元前9世紀、ゼカリアのエルサレム救いと浄化(ゼカリア書12:11)の8世紀などにおいて、戦火の絶えなかった軍事的拠点であったこの丘の、それぞれの時代の要塞・城門・階段・大規模馬舎・大きな井戸・神殿・燔祭台・食料保管庫などの遺跡が一部復旧整備されており、見学者が次々と訪れていました。私たちも日ざしの強いなか、ガイドさんの説明を聞きながら、はるかに遠い旧約時代の歴史を検証できることに感歎するばかりでした。日よけ棚のもとでヨハネの黙示録16章(7つの災い・ハルマゲドン)の朗読と黙想をし、タボル山やナザレ方面の遠景を眺めながら小休止してから、水源であった大きな井戸跡の階段と水道トンネル跡を通って、丘を下りました。
   昼食後12:50ハイファへ向けバスが出発し、途中、秋の刈り入れの終わった田園地帯を経て、緑豊かでなだらかな丘の連なりを走りカルメル山ムフラカの丘の聖エリヤ修道院(カルメル修道会)に13:15の到着でした。紀元前9世紀に預言者エリヤがこの地で活躍した(列王記上18章19〜、41〜)ことで、この修道院前庭にエリヤがバアルを踏みつけ剣をかざす石像が立てられていました。修道院の屋上からエズレル平野の一面の農村地帯を見通せました。修道院を出て、山上からハイファの街中のメイン通りを経て、住宅街近くにあるカルメル修道院の聖マリア教会へ14:40に着き、三人の神父さまによるミサにあずかりました。カルメル修道会は十字軍時代からこの地で宣教活動をはじめた伝統があり、この教会の内部は大理石造りで正面祭壇は一段高く、大きく、そして両翼廊にも祭壇がある格調高いものでした。訪れる各国の巡礼団のお祈りが続き、正面祭壇下奥の地下洞窟の天使像への祈りの言葉も聖堂内に響き荘厳ななかで、私たちも聖母マリアさまに祈りを捧げました。15:50教会をあとにしてバスでハイファの港町まで下り、ティベリアのホテルに向いました。

11/13(土)ティベリア〜カナ〜タブハ〜ガリラヤ湖〜エン・ゲブ〜カベナウム〜ティベリア  
06:30朝食〜07:15バスでカナの奇跡・婚礼教会(聖フランチェスコ教会)へ(専用バス)〜08:15ナザレへ〜08:45聖ヨゼフ教会でミサ〜09:25受胎告知教会・聖ガブリエル教会・マリアの泉巡礼〜11:00カベナウムへ聖ペトロの家教会・イエスの礼拝堂(カベナウムの会堂)巡礼〜12:30ガリラヤ湖遊覧13:30昼食(レストラン)〜タブハへ〜14:30 パンと魚の奇跡の教会巡礼〜15:00バスでホテル(REONARDO)へ〜18:00夕食
  
カナの町へは25分ほどで着きました。バスを降りてしばらくみやげ物店が並ぶ小道を歩き、10分ほどでカナの奇跡・婚礼教会に着きましたが、各国からの巡礼団が開門を待っているようで、門前は人であふれてました。ほどなく、開門し中庭でガイドさんの説明を聞き、教会内にある遺跡の案内を受けました。教会の地下に古代シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や井戸の遺跡が発掘されていました。この場所でイエスさまが水をぶどう酒に変えて奇跡を行った。(ヨハネ2:1〜12)この奇跡を記念してフランチェスコ修道会が建てたもので、教会建物はそれほど大きくなく、外観正面両側に塔が立ってるのは、花婿と花嫁を象徴している。教会の向いには、東方教会の婚礼教会がありました。バスにもどりナザレの町へ向いました。ナザレの街は道路両面駐車のためバスの停車もままならない混雑ぶりでした。バスを降りてしばらくみやげ物店や雑貨店の並ぶ小道を通り抜け、教会にたどり着きました。ナザレの聖ヨゼフ教会で三人の神父さまによる朝のミサにあずかりました。そして教会地下のビザンチン時代の遺跡のところにある、ヨゼフさまのお墓・聖家族が生活された部屋・天使がヨゼフに現れたスポット(マタイ1:18〜25)では訪れている多くの人々のなかでの礼拝でした。隣接する新しく大きな建物の受胎告知教会は、フランチェスコ会が1969年に完成した教会で、おとめマリアさまに天使ガブリエルが現れ「あなたは身ごもって男の子を産む」(ルカ1:31〜35)と告げられたことを記念し、古代チャーチシナゴーグ遺跡の所に建てられています。建物側面2階の入口から入って、聖堂内の広さ、天井円錐ドーム、正面祭壇背面の大聖画、両翼祭壇、堂内側廊での和装はじめ世界各国衣装の大きな聖母子像画、など厳かでゆったりと迎えてくださるなかでお祈りを捧げました。1階正面入口から入ると前方に柵で囲われたところが、地階のように下がり中央祭壇を信徒が囲んでミサが捧げられていました。受胎告知教会から歩いて旧市街の小道の雑踏を通り抜け、20分ほどで広場に出たところが、聖ガブリエル教会でした。ここは東方教会が同じく受胎告知を記念して建てた教会で、シンプルな外観ですが、堂内は壁面がイコンでならびつくされ、シャンデリア献灯できらびやかでした。堂内奥のマリアさまの祭壇へ祈りながらすすむ人々で混雑していました。堂内の地下に「マリアの泉」といわれる水源があり、天使ガブリエルがマリアさまの前に現れたのがこの井戸のところであったという伝承があり、そこで身をかがめお祈りする人々が続いていました。教会を出て、すぐの坂下にある「マリアの泉」といわれているところにも案内してもらいました。バスにもどり、ガリラヤ湖方面に下って、カベナウムに向いました。50分ほどで到着し、まずペトロの家があったとされる遺跡に建つ教会を経て、古代シナゴーグに着きました。二階建会堂の1階を一部修復した大理石の風格ある建物ですが、4世紀ビザンチン様式のものであり、この下層の古い岩の基礎が1世紀の会堂のものといわれています。私たちが今、立っている会堂のこのようなアトリウムで、イエスさまが会衆に語られた「そしてガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」(マルコ1:39)のでしょう。周辺には古代建物の石柱・階段跡・石造遺物が置かれていました。カベナウムはイエスさまの宣教の拠点であることから、ガリラヤ湖岸近くのこの地区をフランシスコ会が行った発掘調査でこれらのことが明らかになったとのことでした。バスにもどり、5分ほど走ってガリラヤ湖遊覧の船着場に行き、エン・ゲヴに向け40分程、湖を遊覧しました。エン・ゲヴの船着場近くのレストランで昼食を終え、バスでカベナウムの方へもどり隣のタブハに行き、パンと魚の奇跡の教会を巡礼しました。イエスさまが2匹の魚と5つのパンを、感謝の祈りを唱え、およそ5000人の群集に配りみんな食べて満腹させたという奇跡(ヨハネ6:14)のゆかりのある教会で、中央祭壇の床にビザンチン時代からの魚とパンのモザイク画を残し、ドイツのベネディクト派修道会があらたに建てたとのことでした。

 11/14(日)山上の説教の教会〜ヤルデニット〜ベント・ジョアン〜クムラン〜死海 
06:00朝食〜07:00バスで山上の説教の教会へ〜08:00山上の説教の教会でミサ〜09:50ヨルダン川イエス洗礼の場所(ヤルデニット)巡礼〜11:10ローマ遺跡(ベント・ジョアン)見学〜12:30バスでクムランへ〜13:30昼食(レストラン)〜昼食後クムラン洞窟見学〜15:40バスで死海へ浮遊体験〜18:00バスでホテル(LE MERIDIEN)着〜18:30夕食

    ホテルはガリラヤ湖岸近く東に面していましたので、6時前に起きて眺めのよい室から、湖からの日の出を見ることができました。小鳥の鳴き声だけの静けさのなかで、やがて遠くのヨルダン側の山並から現れガリラヤ湖の水面に映る太陽が岸辺のヤシの木陰の間にあって輝いてくる朝日を眺めながら、この悠久の時のながれに不変のものをたくさん頂いている恵みに感謝し、美しく清々しい朝を迎えられました。
今日は朝早くの出発でバスのなかで朝の祈りのあと、一日の行程の案内を受けて、ガリラヤ湖畔から緑豊かになだらかな丘を登り、山上の説教の教会に8時45分に着きました。ドーム屋根と外回廊のある教会が、ヤシの木々と色鮮やかな花々に囲まれてガリラヤ湖が一望できる丘に建っていました。明るく穏やか風景にふれ、そして小鳥のさえずる屋外の木陰で、三人の神父さまによるミサにあずかり、イエスさまが宣教をはじめられた(マタイ5〜7)、このガリラヤの風かおる丘に招かれている喜びと感謝の祈りを捧げました。9:25バスにもどりヨルダン川イエス洗礼の場所に向いました。洗礼者ヨハネからイエスが、ここで洗礼を受けたといわれているこのヤルデニットには、木立に囲まれた静かな川岸で、洗礼式場や入水する川縁の階段や手すりが整ってあり、今日も十数人が沐浴する姿が見られました(マタイ3:13〜17)。バスにもどり10:40ベント・ジョアンに向いました。バスを降りて15分程歩いて遺跡の背後の丘に登り頂上から、発掘し修復されたローマの街並みの中心街の全貌を眺めながら説明を受けました。紀元前2世紀のローマ支配下の遺跡で周辺を含め人口7万人規模の街の文化の中心地であり、ギリシャ様式も混在して見られ、広いメイン道路に沿う屋根付きの通路・シグマ・屋根付き半円形劇場・浴場広場・ワイン醸造場・市場街などを目にし、古代に繁栄した都市と文化までさかのぼれることに驚くばかりでした。バスでクムランに向けヨルダン川に沿って南下するにつれ風景が一変し、ヨルダン川の対岸にみえる渓谷の赤茶けた岩山の連なりが近くにも広がり、砂漠に入っていくようで、きびしい荒野の風情を感じました。ここは、地球最大の断層帯と言われるアジア・アフリカ大地溝帯が、アフリカからシリア・紅海を通り陸地で一番低い死海に続いているという特異な自然環境にありました。
13:40に死海ほとりのクムラン国立公園に着き近くのレストランで昼食の後、クムラン博物館の観光情報センターでクムラン宗団の修道生活を描いた映画を観賞し、博物館内の展示物の説明を受けました。クムラン文書作成のいわれと発見された経緯・発掘の遺物の展示品を見てまわり、屋外に広がる遺跡を見学しました。付近は赤茶けた岩山近くにあって、クムラン宗団(ユダヤ教エッセネ派か?)がここで修道生活をしていた当時の礼拝堂・沐浴場・食堂・風呂場・共同作業場・書写室などの石積壁跡や貯水槽跡、そして1947年ベトウィンの青年によって、文書の入った壺が発見された岩山の断崖の洞窟を展望しました。クムラン文書はその後もこの一帯で見つかり、紀元前2世紀から1世紀にかけての聖書の写本など数百の文書類が2000年近く時がながれ発見されるとは、不思議なことです。15:40にバスにもどり、エン・ポケックに行き、希望者が塩水の湖につかり20分間ほど浮遊体験をしました。
脱衣・シャワーなど整った死海のビーチは、真夏の海水浴場のように賑やかでした。
ホテル到着は18:00となり、夜空は満天の星が輝いていました。

11/15(月)マサダ〜エルサレム〜エンカレム  
07:00朝食〜09:00バスでマサダへ・マサダ要塞見学〜11:30バスでエルサレムへ〜13:40昼食(レストラン)〜バスでエンカレム・マリア訪問教会へ〜15:00マリア訪問教会で合同ミサ〜洗礼者ヨハネ誕生の教会巡礼〜ホテル(CAESAR)へ〜19:00 夕食
    
早朝、死海に面したホテルの15階の室から、対岸のヨルダンの山並みにのぼる朝日が死海を照らし、ホテル背後に連なる山肌が明るくなってくる、この時しかない風景に巡りあえた喜びと、これからのエルサレム巡礼にむけて心たかまるばかりでした。ホテルから15分で死海ほとりから少し入った岩山のマサダ国立公園に着き、ケーブルカーで登り、自然の地形を利用した要塞の遺跡を見学しました。頂上は南北に650M、東西は中ほどが300Mで両端は狭い台地となっていて、その高さは死海水面から450Mで周囲は切り立った断崖になっている。ヘロデ王が築いた城砦で2重の城壁と櫓をはりめぐらし、北側の3つの宮殿と中央宮殿をはじめ兵舎・住居・倉庫・シナゴーグ・蒸し風呂室・貯水槽などの壁や石積の遺構が部分的に修復され、2000年前のモザイクやフレスコ画の一部が鮮やかに床や壁に残っていました。要塞周囲の地面に石積の遺構が11箇所あり、紀元70年ユダヤ戦争で、要塞に篭城し抵抗するユダヤ軍を攻めるために、包囲したときのローマ軍の陣営地跡と言われている。要塞の高さに届く土塁をローマ軍に築かれて攻撃され紀元73年、ついに陥落となるにいたり、2人の女性と5人の子供以外、960名の兵士を含む1000人近い人達が集団自決した(ヨセフス・フラビウス「ユダヤ戦記」)という心痛ましい悲劇に沈黙のひとときでした。山上は見学者が多く、下りのケーブルカーも混雑していました。12:00にバスにもどり、近くのエン・ゲディに行きました。ここの洞窟はダビデがサウル王から身を隠して留まった場所(山羊の岩付近の洞窟・サムエル上24:1~3)であり、現在はダビデの滝や温泉のあるオアシスとなり、自然観察やトレッキングルートもある国立公園となっています。付近を眺望してバスにもどり死海に沿って北上し、死海から離れて西に曲がりエリコを右にみて、バスはいよいよエルサレムへと向いました。整備された道路が赤茶けた起伏の多い丘を登って行き海抜860Mのエルサレムに至るとのことでした。途中の谷あいの所々にベトウィン族の集落を見かけました。前方にオリーブ山が見え、しばらくしてトンネルをぬけるとエルサレムの市街地に入ってきました。昼食のためレストランに着いたのが13:40でした。昼食後バスで、エルサレム西の郊外の里、エンカレムの丘の中腹にあるマリア訪問教会に向い教会近くでバスを降りてから教会まで15分ほど歩き、長い坂道をあがったところにありました。岡山教会早副穣神父・服部大介神父さまと信徒巡礼団とここで合流し、15:00からマリア訪問教会奥の聖堂で合同ミサを全5名の神父さまのもと、金祝のお祝いにあたり早副穣神父さま司式で行われお祈りをし御聖体にあずかりました。マリア訪問教会は、祭司ザカリヤと妻エリザべトが住んでいた家があったとされ、そこにマリアさまがここを訪れたことを記念して建てられています。入口正面の上にロバに乗ってやってくるマリアさまが描かれてあり、聖堂内祭壇の上に、マリアさまとエリザベトが手を取り合っている壁画がありました。庭の塀には「マリアの賛歌」が各国語ごとに訳された陶板が壁一面に掲げられていました(ルカ1:39~56)。「マリアの泉」を挟んで隣が聖ヨハネ教会でした。洗礼者ヨハネを記念してヨハネの誕生した場所にたてられている教会で聖堂中央祭壇正面は聖母マリア像でした。そして聖堂左の側廊に奥の方に下がる階段があり、そのさきの洞窟が、ヨハネが生まれたところであり、混雑の中でお祈りを捧げました。この教会の庭の塀には「ザカリアの賛歌」が各国語ごとに訳された陶板が同じく壁一面に掲げられていました(ルカ1:68~80)。4:50ごろ教会からバスまで歩き、エルサレムのホテルに向いました。夕食はホテルにて岡山教会のグループと共にしました。

11/16(火) 終日エルサレム巡礼
07:00朝食〜08:30バスでエルサレム旧市街へ〜嘆きの壁〜悲しみの道〜エッケ・ホモ教会〜13:00昼食(レストラン)〜15:00鶏鳴教会でミサ〜ミサ後イスラエル博物館見学〜19:00夕食(レストラン)〜ホテル(CAESAR)へ
    
    旧市街は約1KM四方の城壁に囲まれ、8つの門がある街で、嘆きの壁に近い糞門から手荷物の検問を受けて入りました。右手の壁へは、男女に仕切られ、それぞれ近づくことができましたが、入口付近に備え付けのユダヤ帽か各自帽子の着用が必要でした。この神殿跡は、紀元前10世紀ソロモン王によって築かれた神殿が、破壊と再建を経て紀元前1世紀ヘロデ王による大改築で現在の規模になった。しかし紀元70年のユダヤ戦争でローマ軍に破壊されて、現在の遺構になったもので、西の壁は全長488Mあったが、下部が地中に埋まってあり57Mのみ地上に残って、嘆きの壁といわれ祈りの聖域となっています。各自お祈りのあと、ライオン門の方の「悲しみの道」の出発点に向いました。旧市街地内は路地が多く、住居や商店などが混在し住民や観光客で混み合う雑踏のなかで、イエスさまの苦しみを心に留め、悲しみの道を辿りました。第1留(死刑の判決)城塞のピラト総督官邸でおこなわれた(ヨハネ18:28~40)、エッケ・ホモ教会は当時の官邸跡にありピラト総督がイエスを群集の前に引き出して「見よ、この男だ」(ヨハネ19:5)と言ったところです。
地下にはローマ時代の石畳の道路跡がありました。イエスが裁判にかけられたとき「ガバタ、すなわち敷石という場所で、裁判の席に着かせた。」(ヨハネ19:13)と
思われているところもありました。〜第2留(むち打ののち十字架を担がされる)むち打の教会(マルコ15:15)・イエスが十字架を担がれた教会(ヨハネ19:17)
〜第3留(はじめて倒れる)アルメニア・カトリック聖堂〜第4留(母マリアに会う)アルメニア・苦悩の母マリアの教会(ヨハネ19:25)〜第5留(クレネのシモンの助けを受ける)(マタイ27:32)〜第6留(おん顔を布に写させる)ギリシャ正教の小聖堂〜第7留(2度倒れる)フランシスコ修道会聖堂〜第8留(エルサレムの婦人たちを慰める)(ルカ23:27~31)〜第9留(3度倒れる)〜第10留(衣をはがれる)(ヨハネ19:23)聖墳墓教会群〜第11留(十字架に釘付けにされる(ル
カ23:33)聖墳墓教会群〜第12留(十字架上で息をひきとられる)(ルカ23:46)聖墳墓教会群〜第13留(十字架から降ろされる)(ルカ23:50)聖墳墓教会群〜第14留(墓に葬られる)(ルカ23:53)聖墳墓教会群。近くのレストランで昼食後、旧市街地内の路地に沿って石柱などが発掘され復元してあるローマ時代の店舗等の遺跡を見学しながら、旧市街地を出て、シオンの丘の鶏鳴教会へ行き、三人の神父さんによるミサにあずかりました。シオンの丘の東下り斜面の大祭司カイヤファ邸跡といわれているところに建てられてあり、鶏鳴の名は、ペトロに対するイエスの予言に由来している(マタイ26:69~75)。教会の地下にはカイヤファ邸の地下牢の跡があり、イエスが十字架にかけられる前に留置されたという独房で聖書朗読と黙想をしました(マタイ26:57)。教会の脇にある石段は、イエスさまがゲッセマネの園からカイヤファのもとに連行されてきたときに、通った当時の神殿へと続く道の階段とされています。教会を出て16:50ごろバスで、イスラエル博物館へ向いました。広い敷地に数館の展示館がありますが、屋根が壺のふたの形という死海文書展示館でクムラン写本を見学しました。屋外に第2神殿時代のエルサレムの市街や神殿をかたどった大きな模型がありガイドさんの詳しい説明がありました。市街のレストランで夕食をとり、ホテルへ戻りました。

1/17(水)  終日エルサレム巡礼 
07:00朝食〜08:00バスで聖墳墓教会へ〜09:00聖墳墓教会でミサ〜主の涙の教会・ゲッセマネの園・万国民の教会・ゲッセマネの岩屋巡礼〜12:30昼食(レストラン)〜ダビデ王の墓・最後の晩餐の部屋・マリア永眠教会・マリアの墓の教会巡礼〜夕食(レストラン)〜ホテル(CAESAR)へ
    
    聖墳墓教会内の聖堂で三人の神父さまによるミサにあずかったあと、昨日に続いて教会内聖堂・祭壇を巡りイエスさまにお祈りを捧げました。バスに戻り、エルサレムの東、小高い丘のオリーブ山に向い、展望台からケデロンの谷を隔ててひろがるエルサレム旧市街の城塞や神殿の丘、シオンの丘を眺望しました。そして、主の涙の教会(ルカ19:41~44)・オリーブの老木のあるゲッセマネの園(マルコ14:32~36)・万国民の教会(ルカ22:39~44)・ゲッセマネの岩屋(ルカ22:40)を巡り、イエスさまの苦悶する祈りをいつも心に留め歩んでいくことができますようにお祈りしました。昼食後、バスでシオンの丘にある古代イスラエルの王ダビデの墓とされているところに行きました。石造建物の入口で着帽を指示され男女に分かれ入っていくと多くのユダヤ教徒が祈りを捧げていました。ビロードの布で覆われた石棺にお祈りしました。この建物の2階に「最後の晩餐の部屋」とされているところに集合し、イエスさまが最後の晩餐で与えて下さった新しい契約(ルカ22:7-20)を心に留めみんなで聖歌とお祈りを捧げました。ここはイスラム教のコエナクルム(食堂)と言われている建物の2階で、十字架はなくミハラブ(メッカの方向を示す壁の窪み)がありました。このシオン門近くでヒンノムの谷に沿ってマリア永眠教会がありました。数多くのマリアさまの壁画やモザイク画があり、地下には永眠する聖母像が安置されていましたので平安をお祈りしました。また近くに、アルメニア教会とロシア正教のマリアの墓の教会がありました。入口を入ってドームのような階段を下り右側奥の祭壇の聖母子イコンと墓石にお祈りの方々が絶えませんでした。

11/18(木) エルサレム〜アブゴージュ村〜ヤッフォ〜テルアビブ〜日本 
07:00朝食〜10:00バスで最後の晩餐の部屋へ〜11:00最後の晩餐の部屋でミサ〜アブゴーシュ村へ〜13:00昼食(レストラン)〜ヤッフォへ聖ペテロ教会・皮なめしシモンの家巡礼〜17:30夕食(レストラン)〜テルアビブベングリオン空港へ〜19:00空港チェックイン・出国検査〜22:10テルアビブベングリオン空港発(大韓航空便)

    日本へ帰国の日ですので、早朝から手荷物の用意をしてホテルをあとにしました。朝のミサはテラサンタ修道院で行われることになり、ホテルからバスで30分程のところにへ行きました。修道院聖堂で三人の神父さまによるミサにあずかり、聖堂中央祭壇後背の最後の晩餐を記念するイエスさまと十二使徒の肖像が迎えてくださり、イスラエル最後の日に、私たちが静かに落ち着いてミサをあずかれる恵みをいただきました。11:30に修道院を発ち、ヤッフォに向けバスが通っていくアブゴーシュ村は、イエスさまがなくなられてから復活され、2人の弟子に現れたところの村エマオ(ルカ24:13~15)にあり、ギリシャ正教の教会やカトリック修道院があるとのことでした。ヤッフォはテルアビブ南の古い港町(ヨナ1:3)で、近づくにつれ人々で賑わう浜辺が続き平行する道路も交通渋滞しており、到着は15時40分でした。聖ペテロが滞在した皮なめし職人シモンの家は、聖ペテロ教会への通りから石畳の路地を入ったところに、住居として現存していました(マルコ15:21)。聖ペテロ教会は周囲が公園の丘にあり、聖ペテロを記念して建てられたフランシスコ修道会の教会で、中央祭壇正面に栄えるイエスさまに巡礼の旅最後のお祈りを捧げました。みんなで公園を散策し、地中海の夕日と浜辺の先テルアビブ市街の高層ビル群のあかりが輝いてくる風景に、しばし留まり旅の終りを惜しみました。夕食後、バスで空港に向い、空港近くの道路で兵士がバスに乗り込んでの検問がありテロ対策の厳しさを実感しました。空港に着いて荷物の検査に先立って長い尋問(今回巡礼団の先頭のみ20分あまり)がありスーツケースのレントゲン検査の結果次第で質問を受け、オープンチェックにいたるが私の場合、ガイドさんのサポートで金属性のみやげものの商品名を答えただけで終わりました。その後、出国審査が行われ、空港中央エントランスに集合したのが20:45でした。

11/19(金)  〜日本
   15:40ソウル仁川空港着〜空港内祈祷室でミサ〜18:20飛行機乗り継ぎ手
続き〜19:05ソウル仁川空港発(大韓航空便)〜 20:45関空着

 ソウルまでの帰りの飛行時間は10時間30分でした。到着して空港内祈祷室で三人の神父さまによる巡礼の旅最後のミサにあずかり無事に帰国の途にあることに感謝の祈りを捧げました。乗継ぎの飛行機で予定通り関空に無事到着しました。

この巡礼をとおして、神父さまのお導きと同行スタッフ・ガイドさまのお陰で私たちが共に、イエスさまの古をたどりその受難・復活・栄光によって傍に来てくださる恵みに感謝し祈りを捧げることができました。
 村田神父さま、ヤマス神父さま、申神父さま、長谷川さま、シュタインさま、共に旅したみなさま、コムユニティワールド松村さま有難うございました。
                                                                            畠中周治



ー ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター −