親愛なる日本の皆様へ

私、大石順子(よりこ)は、現在、モンセラート修道院(スペイン、カタルニア地方のモンセラート
の山に建てられた、古い歴史を持ったベネデイクト派の修道院であり、聖地ともなっております。)
からすこし下がった山の山腹に建っているサン、ベネデイクト修道院で学ばせていただいております。
それというのも、約10年前に機会があって日本で隠遁生活をしておられるスペインの神父様と修道女
に出会い3年半前に、彼らの生き方に倣うべく、彼らのもとで生活を始めました。神父様がモンセラート
大修道院の司祭であることと、私の希望と、また導きもあって、この誓願準備のため、ここサンベネ
デイクト修道院に受け入れていただきました。モンセラート大修道院とサンベネデイクト修道院共同体
のそれぞれの心の広さと深い愛情によって、ここで修道生活を送ることができますことを深く感謝
しております。

さて、本題に入らせていただきます。
ちょうど、ペンテコステの前日の早朝、ここモンセラートでは、激しい稲妻、雷、風、雨、ひょうに
みまわれて、ここサンベネデイクト修道院では、建物内に入った多量の雨水をかき出すのに、全員で
おおわらわでした。けれどもモンセラートの巨大な岩山のすぐ横に建っているモンセラート大修道院
では、しばらくの間大きな激流の中に取り残された建物のように、土石流があちこちの部屋の中まで
流れ込み、それは見るも無残な跡を残しました。
大きな岩が落ちた室、土や小石や岩が2m以上もの高さまでうまっている室、そして、修道院、少年
聖歌隊、黙想者のすべてをまかなう大きなキッチンは、コンロ、オーブン、食器類、なべ類、食料品
から薬物に至るまで、今はすべてに土石流の跡が真っ黒に残って手のつけようがないほどです。
激流は車停の巨大な扉をも押し開き、中の車を全て谷底へ押し流し、まるでおもちゃのように何台もが
積み重なっております。巡礼者たちのための食品店、おもやげ店や必需品などのお店の品物もほとんど
が土石流に簡単に押し流されてしまいました。その流れが天上近くに黒々とした線をのこしています。
修道院の庭も岩がくずれてしまった個所の他に、やはり土石流で黒々と汚れ、私がその二日前に訪れ
た時のあれほど美しかった花壇も壊されています。
教会の内部は幸いあまり壊されてはいないようですが、その前の広場には、土砂と石や岩が積もって
います。しかし、そrほどの土石流に激しく襲われたにもかかわらず、重傷者や死者が出なかった
ことは、主に深く感謝しています。
五月中頃、神戸の芸術祭に招かれて、つい先頃戻ったばかりの少年聖歌隊のメンバーたちの住んでいる
所も壊され、道が寸断されているため、50人ほどの少年たちは、皆ヘリコプターで近くの村まで
運ばれ、各々の家族のもとに戻されました。通常でしたら、彼らの清んだやさしい歌声を週日のお昼
と夜に教会で聞けるのですが.......。また、病気の修道者や年老いた修道者は近くのマンレサに
あるイエズス会修道院に移されお世話になっております。
またこのモンセラートの山のあちこちにもモンセラート大修道院に付属した隠遁所や小さなお御堂
があり、ロザリオの道や十字架の道など、他にも黙想に適した道があって四季を通じて多くの巡礼者
や一般の人々が諸外国からも訪れていましたが、まだ調査するところまではとても至っていないようで
すが、明らかに壊されている個所が、山の道に何箇所も見うけられました。
終わりに、ここで880年頃に、サンタ、コバという所で発見されたと言われる、肌の黒い聖母子像
は幸いにして少しの汚れも、傷も受けていません。
モンセラートの山の下に続く村々も、やはり橋が壊されたり、浸水の被害にあっています。そして
悲しいことに、死者が5名ほど出たと聞いています。こうした状況下にあって、また、この聖地が
今やカタルニア地方やスペインや日本の方々の心からのご協力を仰ぎたいと願ってペンを取らせて
いただきました。ちょうどペンテコステのお祝いの最中に起きた出来事です。主がこのことからも
最善を引き出してくださいますように....。 
                                                                      祈りのうちに。

                                   大石順子